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「突然視力を失ったらどうしますか?」その問いにすぐに応えられる人は少ないのではないでしょうか?
沖縄県読谷村に住む松山真由美さんは28歳の時、当時大阪で美容師として働いている最中突然視力が落ち、その2年後に完全に失明しました。
その後、松山さんは盲導犬「ラシッド」に出会い、現在は沖縄県読谷村にて旦那さんと美容室・エステサロン「ほっこり美容村アトリエ」を営んでいます。(盲導犬とは、視覚障がい者の目の代わりになり、外へ連れ出してくれるパートナーです。)
視力を失い盲導犬と出会ったことで、今は「大切なことを知ることができた」と話す松山さん。その人生とラシッドとの出会いについて、お話を伺いました。
大阪府出身の松山さんは当時、地元大阪で美容師として働いていました。28歳の時、突如原因不明の視力低下に陥り、病院で治療を行うも2年後に完全に失明しました。
原因が分からないことにより、病院での治療は過酷なものでした。
松山さん「当時の私は、病院に行けば治るものだと思っていました。ですが原因が分からなかったことで、様々な種類の薬を服用することになりました。癌じゃないのに抗がん剤やステロイドを投与したり、とにかく薬漬けでした。6、7回入退院を繰り返し、それでも病状は一向に回復せず、動けなくなり、笑えなくなり、ご飯が食べられなくなりました。」
松山さんは当時を振り返り「生きているのか死んでいるのか分からなかった」と話します。過酷な治療にも関わらず、視力は回復せず、大好きだった美容師という仕事も失った松山さん。「これからどうやって生きていけばいいんだろう」「死ぬしかない、でも死ねない」そんな思いに悩み、苦しむ日々が続いたのです。
松山さんはその後、辛い時期を自らの意志で乗り越え、笑顔を取り戻しました。そのきっかけとなったのは看護師として勤めていた母の言葉でした。
松山さん「ずっとふさぎこんでいる私に、母は『目が見えないくらいなんだ。世の中にはもっと大変な人がいるんだ。あなたは目が見えないだけなのだから、いつまでもふさぎ込んでないで、心の目を開きなさい。』と言いました。その言葉ではっとしたんです。いつまでも落ち込んでいてはいけないと、前を向こうと思いました。」
その後、松山さんは“見えない暮らし”を受け入れ、前を向いて生きていこうと決意しました。心から人生を楽しめるようになったタイミングで美容師時代に同僚だった現在の旦那さんと再開し、結婚。
その後、松山さんに沖縄移住のきっかけとなる出来事が起こりました。盲学校入学を検討し、その気持ちを良き相談相手であった沖縄のスピリチュアルアドバイザーに話したところ「沖縄に来なさい」と誘われたのです。
松山さん「読谷村にあるエステスクールを紹介されました。“私にできるのだろうか”という不安はあったものの、スピリチュアルアドバイザーの『世の中ぜんぶ、思い込み。できないじゃない、できる。難しいじゃない、簡単。』という言葉に背中を押されました。“いずれ美容の仕事に戻りたい”という気持ちが強かったので、意を決して読谷村のエステスクールに通うことにしました。」
そして読谷村にてエステスクールを受講。無事卒業した松山さんは大阪に戻り、旦那さんの経営する美容室を改装し、トータルビューティーサロンとしてエステを行うようになりました。
営業後、目が見えないことにより、松山さんはある悩みを抱くようになりました。
松山さん「仕事が終わり、自宅に帰宅するにも帰るためには人の手を借りなければならず、そのために誰かが帰るのを待つ日々が続きました。誰かがいないと歩行ができない、そんな状態に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、“このままではいけない”と、盲導犬という選択肢を考えるようになったんです。」
その後、盲導犬に関する朗読図書を読み漁った後、盲導犬訓練所に足を運んだ松山さん。訓練所に行くと、最初のイメージとは違った世界がそこにあったと話します。
松山さん「訓練所の雰囲気にびっくりしました。とにかく、盲導犬を取り巻く環境はとても優しさで溢れる世界だったんです。職員さんもボランティアの方もみんな優しくて、その場所自体が愛情のかたまりなんです。愛情と優しさに囲まれた世界だから、盲導犬は愛でいっぱいの子に育つ。そんな素敵な環境でした。」
盲導犬訓練所では、まず職員さんとの面談からスタート。面談により、仕事をしている松山さんには“待機に向いている盲導犬”が良いだろうとなり、盲導犬「ラシッド」が選ばれました。これが松山さんとラシッドとの出会いでした。
松山さん「面談後、ラシッドが選ばれた後は、1か月の共同生活が始まりました。これから人生をふたりで歩んでいくパートナーとして、すべての行動をふたりで行うことができるよう、1か月の共同生活が必要になるんです。」
犬を含め、誰かのサポートをうけることなく目の見えない・目の見えにくい人が暮らしていけるよう、徹底して訓練するのが共同生活での訓練。とにかくすべての行動を共にし、1か月間の訓練では、歩行や日常生活、そしてお互いの信頼関係を築き上げていきました。
(写真:松山さん夫婦が経営する「ほっこり美容村アトリエ」外観)
ラシッドとの出会いから2年半後、学びの地であった読谷村への移住を決意した松山さん。身も心も優しいサロンをつくりたいという想いのもと“髪とからだを本来のかたちに”をコンセプトとした「ほっこり美容村アトリエ」を開業しました。
松山さん「私は視力を失って、周囲の優しさに救われました。母や旦那さん、盲導犬訓練所にいる多くの人たち、そしてラシッド。そんな優しさを受けて、私自身が『優しさで満ち溢れた世界をつくっていきたい』と思うようになったんです。」
松山さんは、ラシッドとの生活をこう話します。
松山さん「周りの人や旦那さんも、とても助けてくれるけれど、ラシッドは特に私の歩行を支えることだけを考えてくれているんです。ラシッドは私の体の一部で、体だけではなくて、心の支えにもなってくれているんです。とても私のことを考えてくれていて、私が何かにぶつかったりすると飛んでくるんですよ。旦那さんが大きな声を出しただけで、喧嘩していると思って旦那さんにタックルしたり(笑)。そんなラシッドのことが私も心から大事で、大切な存在です。」
松山さんは、ラシッドとの出会いによって、かけがえのない多くの人と出会うことができたのも喜びだと話します。訓練所の訓練士さん、ボランティアの人たちは、今でも時々松山さんとラシッドに会うために沖縄まで足を運んでくれるのだそう。この日、ラシッドが着ていた洋服も、大阪で知り合ったボランティアの方が送ってくれた手作りの洋服なのだと教えてくれました。
視力を失い「死にたい」と思っていた頃は、仕事も結婚もできるなんて思っていなかったと話す松山さん。
松山さん「今は本を出版できたり、講演会やラジオにも呼んでいただけたり、視力を失ったばかりの時には考えられなかった人生を送っています。物理的に目が見えないということは変えられないけれど、目が見えないことでできないことはないんだと今は思えます。そして、見えていたときは、見えていることに支配されていたと気付きました。自分の身体が一番大事なのに、色んなことを見てしまって自分を大事にできなくなってしまったり。私は目が見えない分、ラシッドや旦那さんの優しさを素直に感じることができます。今はとても幸せです。」
ほっこり美容室アトリエは、日当たりの良い場所にある立地も、外観も内観も、松山さん夫妻もラシッドも、すべてから優しさを浴びられる空間。その空間をつくりだしているのが、ここにいる全ての人・土地の持つ暖かさと愛情なのでしょう。ぜひ、松山さん夫妻とラシッドに会いに、お店に足を運んでみてくださいね。
◆ほっこり美容村アトリエ
所在地:沖縄県中頭郡読谷村波平1645-3 |